ファーストデーだったので、行ってきた。
ポーニョポーニョポニョ魚の子♪
というわけで、今日は久しぶりの一日OFFなので、魚の映画を見に行きました。
正直、おもしろかった。
結構前、映画館の予告などで見ていたときは、
「正直コケルンジャネ!?」
と思ってた。
話の内容はまったく見えないし、「ジブリは下呂…ゲド以来だめなんじゃね?」という先入観を持ってしまっていた。
なにより『ポニョかわいくなくね!?』ってのも大きかった。
でも、映画見てみて思ったことは、
『ポニョかわいくね!?』
でした。
内容はもう、コテコテのファンタジー。
純粋な想いを体現する純粋な子供、の話。
万人に支持されるべきものだと思います。
あれ?これなんかに似てないか?と思ったときに、
トトロだ!!
と思ったのは内緒の話だ。だからこの前トトロやったのかもしれない。
現代版トトロみたいな感じかな。
走り方とか、感情の表し方とか、肌の触れ合い方とか、もう、ジブリの確立したものだった。
今回は、セル画のみでやるのが一つのいいところ、みたいなこと言ってたが、
正直、CGという技術もいいし、セル画という技術もいい、と再確認した。
セルで描かれたポニョのホッペは大層やわらかいのだろうなぁ、なんて感じた。
ちなみに、
ポニョ魚<旅にでて最初に出会った女性<ポニョ人間<リサ<トキさん<ひまわりの介護師(リサじゃないほう)<宗介に声をかけた保育園の女の子(リボン)
これが僕の、ポニョにおけるかわいいランキングだね。
まぁ、正直どうでもいいがww
ついでに、今日は阿久悠のドキュメントドラマがやってた。
その台詞に幾つかはっとしたので、記述しておこうと思う。
・イメージを曖昧にできてしまう英語を使った歌詞や、あなたと私しか出てこないような歌詞を利用することで、新しい作詞家というものが出て来れなくなった。(みたいなことを言ってた)
これは驚いた。確かに、最近の歌謡曲は、曖昧な英語表現でなんとなく気持ちの通るような(若者受けするようなイントネーションな)曲調が中心になってきて、正直『この歌詞がいい』というPopsがなくなった。
阿久悠は、元脚本家だけあって、おもしろい物語調の歌詞が多かった。
今の時代、そういう歌詞より、あなたと私の恋愛模様、みたいなどれも似た歌詞が確かに受けるのかもしれないが、日本のPopsがカヴァー中心の停滞期に入ってきた今、今のPopsは正直面白みもなんともない、とTSUTAYAの店員が言うのでした。
・みんながいる中でヘッドホンをして、自分ひとりで音楽を聴くようになってしまった。(みたいな)
はっとした。ヘッドホンは僕にとっては最初からあるツールで、そういう捉え方をしたことがなかったからだ。
音楽の大衆化は、阿久悠の時代には普通だったに違いない。
みんなで聴く音楽→みんなが聴く音楽 という図式は、妙に納得してしまった。
音楽を一緒に聴き、一緒に楽しむ、という文化を、ライブ公演という場所だけに限定してしまった今の社会は、さびしい時代になってしまったのかもしれない、と感じた。