今日、書留で採用の合否が届いたみたいなのだが…
シャワーを浴びていたため、呼び鈴に反応することができず、
あえなく不在通知へ。
無念を拭いきれぬまま、再配達を申し込むが、
翌日の配達になり、げんなり。
出ている結果を知れないもどかしさ。
これは、耐え難い苦痛である。
こういう焦らしプレイは燃える。
いつか機会があったら、最愛の人にでもやってやりたいくらいである。
ちなみに、今日の結果は「名鉄情報システム」
なんとかいってみたいものである。
あと、VIC TOKAIの三次面接の通知が来た。
次は面接のほかに、小論文があるらしい。
私が大学入試の際、もっとも嫌煙した科目である。
というのも、文を平均点以上に評価してもらったことのない人間にとって、小論文とは如何なる価値を見出すべきなのだろうか?
甚だ疑問である。まぁ、やるからにはやってやろうではないか、と思う。
[雑記]ゼミがあった
「敬愛なるベートーヴェン」を見た。
自分、音楽というものに長く携わっていながら、こういう作曲家についてはまったくの無知で、それが恥かしくもあるのだが、否定はしない。
自分は音楽をそれ単体としてしか考えていないため、作曲家と結びつく曲は多くない。
エリーゼはまだしも、他は?という感じである。
これがうちの父なんかだと、
「モーツァルトは○○?」
だの
「バッハは美しい旋律がどうのこうの」
といったウンチクを披露するところである。
この点はうちの父を尊敬する。
NHK-FMを一緒に聞いてて、
「これ誰の曲?」「これどんな曲?」と聞いて、答えが返ってこなかったことはなかった気さえする。
おそろしい。
というわけで、ベートーヴェンが如何に気象の荒い人物か、というのは見れた。
アンナを評価する際も、「女であることが間違い」のような概念を持っているようで、
才能を遵守する尊い姿勢が見て取れるが、利己主義な性格は音楽家らしいところでもある。
やはり音楽家はこうでないといけない、という模範のようだ。
幼少のモーツァルトは、父に鍛えられ、わずか幾ばくかの年齢で作曲を終えている。こういう輩が音楽を切り開くのであろう。
さて、最後のシーンでは、アンナが多分、音楽は自然と触れ合うことで湧き上がる、というベートーヴェンの教えにのっとって何とかの森みたいなところで生活をするシーン?で終わるのだが、それこそ世捨て人推奨のような構図でなんとなく幻想的な雰囲気を残した。
アンナ自体が架空の存在であるため、このような表現は見ていて違和感を感じなかった。
そういえば、基本的に自分は楽団よりも、ヴァイオリン2台で演奏するほうが好きである。
その理由は、表現方法を限定されたほうが、より工夫によって面白いからだ。
愛のあいさつ、とか、ピッツィカート(もうピチカートでいいや)の表現とか、大好きである。
たしか、奇想曲だったか、も好きである。
こういった意味で、一番好きな構成はカルテットなわけだが、そうなるとモーツァルトだろうか?
まぁ、やいのやいの書いたが、
これから、ゼミでいろいろな音楽に焦点を当てられるのは、非常に興味深いわけである。
内定、ほしいっスー。