ちょっと考えるよ

今、東浩紀の「情報環境論」を読んでいる最中なのだが、いやはや面白い。
今のところ情報自由論の中間くらいまでなのだが、いやはや面白い。

そのなかで、これから先、管理型社会に変容していく、という一例で、
個人のブログから、その人のその日の行動、また、周りの人間の行動までが推測可能(管理可能)ということが書いてあった。つまりはこういうことである。

毎日、それこそ分単位でブログを更新している芸能人然り、そのような人にとっては、何気ない日記調の更新が、その人が何をしたか、どのようなことをしたかを閲覧者に教えているようなものだといっているのだ。

たとえば、「今日は友人宅で鍋をした」というブログがあった。

その人のことを何らかの理由で詳しく知りたい人は、ブログを見れば、その人がその日に「友人宅で鍋をした」ことがわかってしまう。また、その友人も内容によっては露見し、その人もその時間帯どのようなことをしていたかがわかってしまう。

こういう何気ない日記の更新が、ブログというサイバースペースという一種の自分とは特定されないだろう空間で管理の一因となりえる、ということである。

おもしろ考え方である。現代、個人サイトなど、グーグルのサーチに引っかかったものは、キャッシュが残される。ゆえに情報源が消えたとしても、たかが個人サイトでもどこかにコピーされてしまうことになる。

もし、犯罪を犯して、その犯人が頻繁にブログに書き込んでいたと仮定しよう。

犯人の身内がそのブログの元を消去したとしても、キャッシュでどこかのサーバあるいわ個人PCに閲覧時に保存されたファイルが残ってしまう、ということである。

そして、それが露見されれば、その人の人となり、行動様式、交友関係とうが露見するかもしれない。




ところで、世界に性格をつかさどるアルゴリズムを解明して、それを電子人格として誕生させる、という研究がある。
そうすれば、偉人の考え方のアルゴリズムを永遠に残しておいて、おいおいの発展の加速化も可能になる、という話だ。まるで夢物語だが、こういう研究がある。この研究は非常に興味深い。

なんていったって、人間の脳を電子回路で作ろうというのだ。おもしろいわけがない。
僕は実際、攻殻世代なので…ww


なぜ、このような話題を出したかというと、ブログに蓄積された個人情報(この情報という意味は、データという狭義の情報ではない、その個人を個人たらしめるもっと大きな意味を含めている)が今から膨大に膨れ上がり、いつか性格、人格のアルゴリズムを解明され、その構成要素がブログで蓄積された情報でまかなえるとしよう。<まぁ、夢物語だが…

過去にキャッシュで残ったブログから、「あの人優秀だったね、なら、その人の考え方をもう一度つくりだそうか、ブログから」という感じで作り出せたら、この世界の倫理が根底から覆されないだろうかww

今日、そんなことを思いながらニヤニヤしてしまった自分がいる。

こういう突拍子もない考え方も、ブログとして残っていくのだ。

kitamuraは12月28日の真昼間に、変な妄想をしていた、と。

それはそれで快感であるwww