ここのところの記事は真摯になって受け止める。
昨日の日経夕刊に、
『小学生も感想文、コピペ』という記事がある。
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080711AT1G0804G11072008.html
小学生の主に読書感想文で見られる傾向で、今回のコンクールでは、Web ににた文章があったため、当事者(感想文書いた子)に問い合わせると、認めた、という話。
学校は、コピペ文章を知らずに推薦した、なんて言う始末。
とうとう、小学生ですら、ネットを集合知として誤解し始めている。
ネットはどちらかというと、集積知だろう。
知識にいたるまでのプロセスが重要なのであって、ネットの知識とは、そこにある答え、というわけではないのである。
しかし、小学生がこのようにネットを使い始めた、ということは、ネットの使い方、という分野で新しいトレンドは、このような傾向にあるのかもしれない。
たしかに、大学生において、コピペは厳しく取り締まる、とか言っておきながら実際には気付けないほど、膨大な分母を有しているから、取り締まるのは難しい。
新聞紙面には、このようなコピペを審査する、選別する、抽出するといったソフトの存在も書かれているが、それが100%の結果を生み出すのは、困難だろう。
なぜなら、分母が膨大すぎ、それが行為を阻害すると予想されるからだ。
僕は、大学生活のなかで、いくつかレポートを書いてきたが、なんとか自分の視点、意見を書こうと頑張ってきた。
というより、自分の視点が、まだWebに挙げられていないことを確認してやっと安心してレポートを製作できた。
梅田望夫氏がWeb進化論のタイトルを考案したときに取った手法だが、意識せずとも、人とは同じことをしたくない、というプライドからの行為だろう、僕の場合は。
ただし、Webの集積知は十二分に参考にさせてもらった。
参照明記である。
小学生だからって、ひとの広く言ってしまえば著作といえるものでも、あたかも自分の物のようにしてはいけない、というモラルは存在しているのだから、それが情報モラルでは欠如する、ということは無いことに気付かなければならない。
とここまでは感情論。
ただし、幼少期の芸術センスないし個性の形成とは、模倣→発展(発想?)→創作→→→個性(すごいはしょった)、というプロセスを必要とする、という意見もある。
模倣は必要不可欠であり、教育発展の一工程としては許容されなければならないものなので、小学生に、使うならそのオリジナルに敬意をもちなさい、くらいのモラルでいいと思う。
現在の情報モラルは、大人でも正直理解しているかと問われれば疑問である。もちろん自分自身も理解しているとはいいがたい行為もいくつか経験はある。
そういったプロセスから、今の最低限モラルというものを構築してきたつもりである。
こどもの教育現場に、情報モラルまで手が回らないのは、教育者が情報モラル自体をいまだ実践中であり、教えられるレベルにまで到達していない、という意見もある。
このまえ聞いた話だと、文科省のおえらい方々は、義務教育に情報科という項目をいち早く取り入れた事実を、功績として捉えているようだが、指針も取れていない学問を教えられる体制もないくせに、なんてことをいってやがるんだ!!という気持ちを持たざるを得ない。
情報科職員の雇用拡大を要求する!!
だが、自分はそんな教職免許なんて、もってないので、関係ないんですがね〜〜ww
なにが書きたかったのか?
いかんせん、情報社会、情報モラルという土俵においては、
大学生=小学生ということが言いたかったのかもしれない。
自分は、その等号に含まれない存在でありたい。
みんなに、木偶の坊と呼ばれ、苦にもされず、
そういう人に私はなりたい。
まさか、ここまで読む酔狂な方はいないだろうが、情報モラルを先行する大学生の赤裸々な考えを書き記した、面白みもない話なのでした。
怒らないでくださいなww